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2009/04/26

だれも知らない小さな国

だれも知らない小さな国
コロボックル物語(1)
著者:佐藤さとる
★★★★★

「コロボックル」という言葉をご存じだろうか?
アイヌの伝説に出てくる小人のことだ。

実家に残っている自分の荷物を少し整理しようとしたとき、とても懐かしい本に出逢った。
コロボックル物語。
初読は中学生の頃だっただろうか。そうすると四半世紀以上ぶりに再会した訳だ。

この本では「こぼしさま」と呼ばれていた小人が登場する。
主人公の男の子が初めて出逢ったのは、小学三年生の頃。
家の近所の小山に1人で探検に出かけたのだ。
その山からの帰り道、トマト売りのおばあさんの話を聞いた。
昔からこの山は「鬼門山」と呼ばれていて、あまり人が近づかない場所だったそうだ。誰かが山を荒そうとすると、必ず災難が降りかかる。
「こぼしさま」が、悪い人間が近づかないように守っているのだという。

その後、ちょくちょく小山に遊びに行っていた少年は、ある日、自分より少し年下の少女と出逢う。彼女は川をジッと見つめているところだった。そこへ急に少年が声をかけたものだから、ビックリしてしまい、片方の靴を川に流してしまった。泣きべそをかいている少女のために、川に流れる靴を追いかけた少年は、不思議なものを見てしまう。靴の中に小さな小さな人間が3人乗っていたのだ!
これこそトマト売りのおばあさんが言っていた「こぼしさま」に違いない!
少年は確信する。この山にはまだこぼしさまがいるんだ、と。
靴を拾って元の場所に戻ると、少女はいなくなっていた。少年の手の中には靴だけが残った。

それから少年は遠くの町に引っ越すことになり、戦争が起きたりして、大人になったときには、こぼしさまのことを忘れてしまっていた。
久しぶりにむかし住んでいた町を訪れたとき、ふと小山のことを思い出したのだ。そして、この小山を自分のものにしたいと思うようになった。
その頃から、なんだかおかしな現象が起こり始めた。
目の前をスッと影が通り過ぎるのだ。1回だけでなく何度も。
これはコロボックルのテストだった。
信用できる人間かどうか、コロボックルがチェックしていたのだ。

テストに合格した彼は、正式にコロボックル達と挨拶を交わし、コロボックルの国を作ろうと決める。コロボックルが安心して暮らせる国を。
そうしている間に、昔、靴を流した少女と偶然再会した。
彼女もコロボックルのテストに合格し、二人してコロボックルと相談しながら、いろいろ準備をしていくのだ。

初めてコロボックルの本に出逢った頃、すでに中学生ではあったけれど、コロボックルのことを信じていた。決して口には出さなかったけれど。いつか自分の目の前にも現れてくれないかなぁと、周りを見回したりしたものだ。
本音を言えば、今だって信じてないわけではない。
もしかしたら、沖縄にだっているかもしれない。

だけど高校生になるころには、「誰か明日の朝までにこの宿題を終わらせてくれないかなぁ」とか「学校に行っている間に部屋を片づけておいてくれないかなぁ」などという「フトドキモノ」になってしまっていたので、もしコロボックルがいたとしても、私はテストに合格しなかっただろう(苦笑)。

昔々から伝わる小人物語。
読んでいて、懐かしさで胸がいっぱいになった。
何もしないから、一度くらい逢ってみたいなぁ...。

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2009/04/21

わがまま?それとも...

さきほど、お友達からいただいたメッセージのお返事として書いています。
私も、こんな風に思うんです。

本が読めるようになった!と前の記事で書きました。
好きなことができるようになった。
これはとてもとても嬉しいことなのです。
でも、それ以外のことはできない。
この気持ち、ほとんどの方は理解していただけないのかもしれません。

「好きなことばっかりやってて、ほかのことはさぼってんじゃん」
そんな風に思われるのかもしれないな、と思います。

でもね、好きなことすらできない時期を経験した人間としては、好きなことだけしかできなくても、それだけで精一杯なのです。
やっとスタートラインに立った、そんな感じです。

やっとスタートラインに立ったのに、理解してもらえなくてまた引き返してしまうこともあります。
そんなこんなの行ったり来たりする心をわかってもらえるでしょうか。

近くに心の病を抱えていらっしゃる方がいらしたなら、好きなことができただけでも一緒に喜んであげて欲しいと思います。よかったね、一歩前進したね、と。今までできなかった分、思いっきり楽しんでね、と。
そうすれば、たぶん次の一歩が踏み出せるんじゃないかな。

これは「わがまま」になっちゃうのでしょうか。
「好きなことができる?!そんな余裕なんてないよ!」という方もいらっしゃるでしょうしね...。

わがままでもいい、そこから先に踏み出したい。
そう思う今日この頃です。

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2009/04/19

本が読めるようになった♪

前の記事の「暗鬼」。
3時間くらいで一気に読み切った。
久しぶりに「読書した~っ!」と気持ちが良かったなぁ。
でも、それだけ。
ほかのことは相変わらずできましぇん...。

「できないんじゃなくて、やらないんでしょ」
と思われた方は健常者です。
「そうそう。思っていてもできないんだよね」
と思われた方はお仲間です(か?^^;)。

でも、一つ一つできることを増やしていかねば。

そういいながら不眠です。
昨日の夜、完徹したにもかかわらず、
今夜も2時間おきに目が覚める。
お昼寝も我慢したのに!

朝までグッスリ寝てみたいなぁ...。

と、まぁ、たまにはこんな「うつ話」もさせてください。
どこかで発散しないと爆発してしまうので。
ブログの趣旨とは反しますが、どうかお許しを...。

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2009/04/18

暗鬼

暗鬼
著者:乃南アサ
★★★☆☆

去年の12月にご紹介した「七つの怖い扉」という短編集に乃南アサ氏の作品があり、雰囲気がとても気に入ったので、別の作品も読みたいなと思っていたところ、コメントをくださったりえこさんの推薦もあり、本書を手に取った。

表紙の紹介文を引用。

*************

両親、弟妹、祖父母に曾祖母。今時珍しい大家族に嫁いだ法子を待っていたのは、何不自由ない暮らしと温かい家族の歓待だった。しかしある日、近所で起きた心中事件に彼らが関係しているという疑惑を抱いた法子は、一見理想的な家族を前に疑心の闇にはまっていく。やがて暴かれる、呪われた家族の真実とは...。

*************

上記「七つの怖い扉」での短編「夕かすみ」とこの「暗鬼」。両作品ともにミステリアスな雰囲気が作品全体に漂っていて、静かなスリルがゆっくりと迫ってくるような力がある。
人物描写、心理描写がとても丁寧に描かれていて、ドラマを観ているような感覚で読めたので、ほんの数時間で読み終えてしまった。

家族って何?
周りがみんなひとつの秘密を共有しているのに、自分だけが何も知らされない法子の猜疑心。それはまさに疑心暗鬼という言葉がピッタリな気持ち。

私は途中でこの家族の秘密はわかっちゃたけど、それでも最後まで飽きさせずに読者を引っ張っていく力は衰えなかった。

ただ、最後が少し残念。
はっきりとした答えのない問題を投げかけられたような、そんなもやもや感が残るのだ。
それとも、答えなんてないのかもしれないな。

描かれている世界は、人によっては受け入れられず拒絶反応を示したりするのかもしれないが、この手の話は何作も読んでいるので、私は普通に受け入れられた(あくまで小説の中の世界では、という意味で)。

作品全体の雰囲気はとても好きなタイプなので、他の作品をまた探したいと思う。

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2009/04/17

「シュガー社員」から会社を守れ!

「シュガー社員」から会社を守れ!
著者:田北百樹子
★★★☆☆

前著「シュガー社員が会社を溶かす」は読んでいないのだが、本書はなんだか面白そうな本がないかなぁとAmazonサイトを眺めているときにタイトル買いした本である。

まずは「シュガー社員」の定義。
1.自己防衛本能が高く、権利意識が強い。
2.世の中の出来事に疎く、仕事のヒントになるような本を読まない。
3.人に迷惑をかけても何とも思わない(自分が大事)
4.幼稚で攻撃的。
5.退職間際にゴタゴタと問題を起こす。

確かにこれは問題社員だな(苦笑)。
で、シュガー社員というのは、次のタイプにわかれるようだ。
1.ヘリ親依存型
2.俺リスペクト型
3.プリズンブレイク型
4.ワンルームキャパシティ型
5.私生活延長型

読んだだけで何となく「こんなヤツだな」とイメージできるものもあると思う。よくわからないなぁという方には、本書を読んでいただくとして、申し訳ないが説明は省略する。

本書の構成としては、まず採用の際に「シュガー社員」を見分ける方法から始まる。履歴書や職務経歴書で、こんな書き方をしていたなら要注意!という感じだ。
まず基本的なことだが、西暦と和暦が混在している人は、ちょっと几帳面さが欠けるかな、と。職歴がたくさんあり、職種もバラバラな人は、壁にぶつかるとすぐ逃げるタイプかな、と。

次に採用面接の際の見抜きかた。
具体性を持った質問に答えられない人は、物事を深く考えないタイプ。質問の回答が「過去の」自慢話ばかりだったりする人は、上記の「俺リスペクト型」に当てはまり、実務に就くと「なんで俺がこんな仕事やんなきゃいけないんだよ!」と切れちゃうタイプ。

さて、本当に怖いのは、隠れシュガー社員なのだ。
普通に働いていて有能な社員だったのが、何かのきっかけで「シュガー社員スイッチ」がONになってしまうタイプがいる。採用されてから、それなりの責任を持つ仕事を担った社員が、いきなりシュガー社員になっちゃったら、そりゃもう周りへの影響は計り知れない。

そこで、社員を「シュガー社員」へと変身させない方法が、いろいろと紹介されている。フォローがバッチリな本だ。

実例が豊富に載っており、読んでいて飽きない。約200頁の本だが、それほど時間を要せず読み終えることができた。
「自分はシュガー社員になっていないか?!」とひとつひとつ、これまでの仕事の仕方を振り返って、たまに反省し、たまにホッとしながら読み進めてみたところ、なんとか今までは大丈夫なようだ。これからも気をつけたい。

私自身が採用面接を行う側に回る可能性はほとんどないので、できるだけ人事担当者に読んでいただいて、新人の採用には気をつけていただきたいと思う。

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2009/04/15

職場の嫌いな人の取扱方法

職場の嫌いな人の取り扱い方法
著者:小林惠智
★★★★☆

よくある「職場のダメな人」とか「職場の困った人」とかという本は何冊か読んでいるが、本書は少し味が違った。
まず、自分の性格についてテストするのである。誰に対するにしても、こちら側のタイプごとに対応の仕方が異なるので、確かにこれは重要だ。自分のタイプを知ることで、相手への対応もわかってくる。

そうして、33タイプの困ったちゃんの取扱方法が紹介されている。
その困ったちゃんがまた読むごとに「あ、これ○○さんだ」「おぉ、これは△△くんだな」とかって、当てはまる人がすぐに頭に浮かんでくる。
それだけ困ったちゃんが周りにいるってこと?(苦笑)

困ったちゃんの行動分析が終わった後、最初にテストした自分のタイプごとの対応方法を見るわけである。
これがまた、納得がいくんだなぁ。
「あなたはこういうタイプだから、こんな人にはこう対応しましょう」という風に説明されているのだけれど、その「あなたはこういうタイプだから」が、すごくピッタリ。「そうそう、私ってこういうタイプなのよね~」なんて思ってしまう。(暗示にかかりやすいのかしら?)

表紙裏の紹介文を引用してみる。

*************

職場の人間関係のお悩みのみなさま、悩んでいる場合ではありません。
今、あなたに必要なことは、「我慢」や「忍耐」ではなく、「冷静な分析」と「的確な対策」なのです。
この対処法を身につけることで、より一層充実した職場環境を手に入れることができるでしょう。

*************

そう!悩んでいる場合ではないのですよ。
それこそ時間のムダ!
我慢なんてしている場合ではないのですよ。
それこそストレスの根源!
まずは自分の性格を分析し、相手への対応方法を的確に判断しましょう。

...なんていって、人間関係、そんなにうまくいくわけないですよねぇ。
ま、「いるよなぁ、こんなヤツ」なんて特定の人間を思い浮かべながら、心の中でその人を軽~くあしらっている自分を想像するだけでも、ちょっとはスカッとするんじゃないかな。
ちょっと、陰湿っぽいけど(苦笑)。

ちなみに私は「Dタイプ」。
「責任感が強い反面、融通の利かない頑固な一面も」だそうだ。
頑固だし、融通が利かないのもあってるな...。
このタイプのキーワードは、「プロフェッショナル」「冷静沈着」「模範的」「くそ真面目」「頑固」「オタクっぽい」。
これがあってるかどうかは、客観的に第三者に判断していただくしかないよね。

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2009/04/06

罪と罰(まんがで読破)

罪と罰 (まんがで読破)
著者:ドストエフスキー
漫画:バラエティ・アートワークス

「罪と罰」。書店に行くたびに気にはなっていた。なんだか惹かれるタイトルなのだ。しかし、文庫本が分厚すぎる。しかもそれが上下2巻ときている。とてもじゃないけど軽い気持ちで読める本ではない。気合いが入ったときにしか読めない本だ。
それが、この「まんがで読破」シリーズに含まれていた。これ幸いと、購入したわけである。あらすじだけでもね、ちょっとわかればいいかなぁと思ったので。

では、表紙裏からあらましを引用。

*************

頭脳明晰な青年ラスコリニコフは独自の倫理観に基づき、強欲な金貸しの老婆を殺害し、目撃者のその妹まで殺してしまう。想定外の事故、良心の呵責、警察の捜査の影に怯え始めるラスコリニコフ。自首か、逃亡か。
娼婦ソーニャの生き方に心を打たれた彼の選んだ結末は.....?

*************

ラスコリニコフは、自分は天才だと思いこみ、金貸しの婆なんかに苦しめられるいわれはないと殺害を決意する。
そのとき彼は、自分はナポレオンと同じように、選ばれた人間なんだと思っていた。法律に縛られる側ではなく、法律を超越した存在なのだということだ。だから、自分が信じる正義のためには、一人や二人殺したところで、許されないわけがない。金貸しの婆は高利で金を貸し、何人もの人間を苦しめているではないか。生きている必要はない。

しかし、殺害を実行し終えたそのとき、思わぬ目撃者が現れた。金貸しの妹だ。想定外の人物の登場に焦った彼は、妹までも殺してしまう。妹を殺すべき正義など存在しないのに。
そのときから、彼の心は予想外の方向へ向かっていく。

「良心」とは、心の「痛点」ではないかと思う。
人間の身体は、なにかしらの異常が起きたとき、だいたいの場合、痛みを伴うようにできている。その痛みがあるおかげで、「治療」という行為に移ることができるのだ。

良識に逆らうような異常な行動を起こしたとき、「良心(痛点)」があるがために制止することができ、それ以上の悪事に手を染めることなく、「償う(治療)」という行為に移ることができる。

では、ナポレオンや戦争を起こしたその他の権力者の場合はどうか。
1人を殺せば殺人者だが、何千人も殺せば英雄だという。
「良心」を抑えつけるほどの「信念」「支配欲」「金銭欲」または誰かしらへの「忠誠心」。それが麻酔の役目を果たして、「良心」による痛みを感じないようにしているのではないか。
痛みを感じないうちは、やりたい放題を続けてしまう。「治療」に移ることができない。だから、傷はどんどん深かまるばかりだ。麻酔が切れてしまった後には、取り返しのつかないことになっている。
それでも、「良心」を持っているだけ、マシだと考えるか。

しかし、近年、「良心」が欠落しているのではないかと思われるような犯罪者が多いように思う。
「良心」とは、先天的に備わっているものなのだろうか。それとも、成長の過程で備わっていくものなのだろうか。
「良心」がないということは、心の「痛点」がないのだから、いくらでもやりたい放題だろう。自分自身の欲するままに行動するのみ。痛みがないから「治療(反省・償い)」にも移ることができない。「良心」が先天的に備わるものであるならば、成長過程の教育によって身につけることができないのならば、更正すらできないということになる。心は異常なまま、傷だらけのままだ。
「良心」が教育によって身につけることのできるものならば、更正の可能性も出てくるだろう。かなり難しい治療かもしれないが。

本書自身の感想を読みに来ていただいた方には申し訳ないが、内容がそぐわないかもしれない。
脱線しまくり~であった(苦笑)。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した

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2009/04/04

リア王(まんがで読破)

リア王 (まんがで読破)
著者:シェイクスピア
漫画:バラエティ・アートワークス

「リア王」というと、小学生の頃に学芸会で観たような...。
確か、3人の娘を持つ王様がいて、3人の娘に自分をどれくらい愛しているのかを聞く。
長女、次女は、心にも思っていない甘言を並べ、王の機嫌を取る。
末娘は心の底から王を愛していたが、上手く言葉にすることができず、王の機嫌を損ね、追い出される。
その後、王は長女、次女から冷たくあしらわれ、ここで初めて2人の本音を知って後悔する。
城を追い出された王を助けたのは、本当に王を愛している末娘だった。
王はそれに気づいて涙するのであった。
めでたし、めでたし。
というような、ストーリーだったような気がする。

だけど、「リア王」といえば、シェイクスピア四大悲劇のひとつ。これじゃパンチが弱い。そこで、ホントはどんな物語なんだろうと、まんがで読み直してみることに。
簡単なあらすじを、本書裏表紙から引用したいと思う。

*************

高齢の王・リアは、三人の娘に富と権力を分配し、引退する決意を固めるが、素直な末娘コーデリアの言葉を誤解し、勘当してしまう。怒り狂うリアは言葉巧みなふたりの姉に全ての財産を譲り、コーデリアをかばう忠臣ケントを追放...そして悲劇が始まる。

*************

さてさてさて、漫画ではどう描かれているか。
自分の国の全てを長女と次女に譲った王は、長女・次女に疎まれたうえに城から追い出され、街をさまよううちにショックから精神を病んでしまう。
そこへ、王を助けるためにやってきたフランスへ嫁いだ末娘に助けられるも、最期には元々自分のものであった国に末娘共々捕らえられ...。

これはやはり悲劇である。
四大悲劇のひとつに数えられるにふさわしい悲劇だ。
権力をほしがる者、権力のおこぼれをねらう者、自分を蔑んだ者を恨み続ける者、心がゆがんだ人間が次々と登場。もちろん、その中でも自分自身の良心を失わない者、自分を追い出した父を助ける者、優しさを持った人間も、少ないけれどいる。

人の心を読める賢明な王であったなら、リアは自国を追い出されずにすんだかもしれない。上っ面の優しさと、心からの優しさ。それを見分ける力があったなら...。
それでも、やはり新しい悲劇を生んだだろうか。権力と富に目がくらんだ者がいる限り、悲劇は避け得ないものなのかもしれない。

人間の毒の部分を描き尽くした作品。
よくある物語のように、簡単にハッピーエンドにはしない。

開けてはいけないとされていたパンドラの箱を開けたとたんに、邪悪なものが世界にあふれ出した。
けれど、箱の中には希望が残った。

この物語の最後の言葉は次の言葉。
「わしらはみんな泣きながら生まれてきた。この世界に放り出されたのが悲しくて泣いたのだ。でも、どん底は笑いの始まり。そしてその先にあるのが、希望だ。」

どんな人間でも希望を持とうと思えば持てるのかもしれない。飾りを捨てた人間自身を見ることができるようになれば。欲に目がくらむことなく、互いの心のみを見ることができるならば。
それが難しいのが人間だ。
だから今も悲劇が絶えない。
現代だって、この瞬間にも悲劇が、あちらこちらで溢れているではないか。
全て欲を抑えきれない権力者のために、権力を持たない弱い者が犠牲になっている。
今も昔も、悲劇を生むのは人間の持つ底なしの「欲」なのかもしれない。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した

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2009/04/03

変身(まんがで読破)

変身 (まんがで読破)
著者:カフカ
漫画:バラエティ・アートワークス

「ある朝、グレーゴル・ザムザが奇妙な悪夢から目を覚ますと、大きな虫に変身していることに気がついた」
この書き出しで始まるカフカの「変身」。
知ってはいても、読んだことはなかった。
いわゆる名作と呼ばれる小説が漫画としてシリーズで発刊されることを知って、これを機にあらすじだけでも読んでおこうと何冊か買った。
「変身」はその中の1冊である。

簡単なあらすじを、本書裏表紙から引用したいと思う。

*************

ある朝、布地屋のセールスマン・グレーゴルが奇妙な悪夢から目を覚ますと、自分が大きな虫に変身していることに気づく。突如の異変に家族は困惑するが、グレーゴルが変身した謎を明かそうとする者は存在せず、奇妙な日常がただひたすら続いていく。

*************

商売で失敗した父、優しい母、そして妹。この家族を養うために、セールスマンとして働くグレーゴル。最初はむいてないかのように思われたが、ある日、よい買い手を見つけ、トップ・セールスマンとして大きく稼ぎ始める。母と妹は喜んでくれるが、父だけは威厳を保つためかプライドが傷つけられたのか、グレーゴルの才能を認めようとせず、空威張りするだけ。
しかし、あるとき突然、今までの顧客が別の会社から布地を買い始める。グレーゴルより安く売っているのだ。
その顧客を取り戻すため、グレーゴルも値を下げて売り始めるが、どんどん営業成績が落ち始め、家に入れるお金も少なくなっていく。
母や妹は、それでも慰めてくれるが、父は「それ見たことか」といった態度である。

別の仕事を探したりもするが上手くいかず、家族のために自分の幸せを犠牲にし、追い詰められていくグレーゴルは、冒頭の文章の通り、ある朝、目が覚めると虫に変身していたのだ。

虫に変身した後、家族の態度は豹変し、あれほど家計を助けてきた兄を、足蹴にする。それどころか、うっかり母の前に出てしまったグレーゴルに深い傷を負わせてしまう。その後、家族たちは宿屋を経営し、客を招き入れたが、そこへも姿を見せてしまい、客を怒らせてしまう。

その夜、妹が「兄と縁を切ろう」と言い出した。それがお互いの幸せのためだと。あれはもはや「兄」ではないのだという。
グレーゴルは、それを聞いた夜、1人、息を引き取った。

さて、ここでぶつかった問題は、「虫に変身していた」ということが何を意味するんだろうということだ。
人間は普通、虫には変身しない。
だからといって、特に他の別なものに変身するわけではないけれど。
この文章に、何らかの意味づけをしたくなるのは、私だけではないだろう。自分の理解の範疇を超えたものに遭遇したとき、自分の持つ知識の中で納得のいく答えを見つけたくなる。

精神的に病んだことを意味するのか?
外に出せないほどに病んでしまったことを。

おそらくいろんな解釈がなされてきたんだろうなと思う。私はただこのまんがに描かれている情報しか持たないが、作者の境遇、作品が生まれた背景なんか知るとまた、違った解釈もできるのだろう。

多くの人間がいれば、少し周りと違う人間も出てくるだろうし、そうなれば自然と「差別(区別ではなく)」が生まれる。憐れむ人もいれば、蔑むひともいるだろう。その人の気持ちを理解しようと努力してくる人も出てくるかもしれない。しかし、その人の気持ちはその人にしかわからないものである。
人はみんな違う。みんながオンリーワンだという唄が流行ったが、本当にそれを理解している人は、どれだけいるのだろう。自分はオンリーワンだといいながら、みんな周りの人間と異なることをどこかで恐れているのではないか。そんなことも考えてしまった。

もしかしたら、この作品は、ただ「ある日、男が虫に変身したらどうなるだろう」。それだけの理由で書かれたのかもしれない。それなら作者の勝ちだ。人々を悩ませるだけ悩ませといて、なんだよ、それっていうオチ。

短い物語だから、サラッと読み流してしまうこともできるし、そこからいろんな想像をふくらませることもできる。それが長く読み伝えられた理由だろうか。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した。

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