802)まんがで読破

2009/07/09

ファウスト(まんがで読破)


ファウスト (まんがで読破)

Amazonで購入
書評/宗教・哲学

文庫版の「ファウスト」を読む前に、概略でも知っておこうと思って、まんがで読破シリーズの「ファウスト」を手にした。
なるほど、こんな物語だったのか...。
まんがになっているためだと思うが、それほど哲学的な部分というのは感じられない。逆に俗っぽい感じだ。ファウストが実に人間的だと感じた。

神と悪魔。
確かに人間が作り出したものである。
自分たちで作り上げたものが原因で争いを起こす。
人間とは、それほど愚かなもの。
現代の争いは、もっと醜い。
欲・利害が絡みあって、さらに愚かしい。

あらゆる学問を究めることなど、人間にできるものだろうか。
「学問」自体を作り上げているのが人間なのだから、どこかで限界を決めてしまえば可能なのだろう。自分は「○○学」を極めたと思う者は、自分でその限界を決めてしまっているのではないだろうか。
様々な学問は、本当に極めようとすればするほど、自分の無力さを感じる、あるいは自分はまだまだ極めきれないと感じるものなのではないか。無限の可能性が世界には溢れているのだろうと思う。

哲学・法学・神学・医学。これらを極めても、自分自身が満たされなければ、何もならない。
何も極めていなくても、自分自身が満たされていると感じているのであれば、それは素晴らしいことだと思う。

ファウストは、正しい道を選んだのだろうか...。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思う。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009/04/06

罪と罰(まんがで読破)

罪と罰 (まんがで読破)
著者:ドストエフスキー
漫画:バラエティ・アートワークス

「罪と罰」。書店に行くたびに気にはなっていた。なんだか惹かれるタイトルなのだ。しかし、文庫本が分厚すぎる。しかもそれが上下2巻ときている。とてもじゃないけど軽い気持ちで読める本ではない。気合いが入ったときにしか読めない本だ。
それが、この「まんがで読破」シリーズに含まれていた。これ幸いと、購入したわけである。あらすじだけでもね、ちょっとわかればいいかなぁと思ったので。

では、表紙裏からあらましを引用。

*************

頭脳明晰な青年ラスコリニコフは独自の倫理観に基づき、強欲な金貸しの老婆を殺害し、目撃者のその妹まで殺してしまう。想定外の事故、良心の呵責、警察の捜査の影に怯え始めるラスコリニコフ。自首か、逃亡か。
娼婦ソーニャの生き方に心を打たれた彼の選んだ結末は.....?

*************

ラスコリニコフは、自分は天才だと思いこみ、金貸しの婆なんかに苦しめられるいわれはないと殺害を決意する。
そのとき彼は、自分はナポレオンと同じように、選ばれた人間なんだと思っていた。法律に縛られる側ではなく、法律を超越した存在なのだということだ。だから、自分が信じる正義のためには、一人や二人殺したところで、許されないわけがない。金貸しの婆は高利で金を貸し、何人もの人間を苦しめているではないか。生きている必要はない。

しかし、殺害を実行し終えたそのとき、思わぬ目撃者が現れた。金貸しの妹だ。想定外の人物の登場に焦った彼は、妹までも殺してしまう。妹を殺すべき正義など存在しないのに。
そのときから、彼の心は予想外の方向へ向かっていく。

「良心」とは、心の「痛点」ではないかと思う。
人間の身体は、なにかしらの異常が起きたとき、だいたいの場合、痛みを伴うようにできている。その痛みがあるおかげで、「治療」という行為に移ることができるのだ。

良識に逆らうような異常な行動を起こしたとき、「良心(痛点)」があるがために制止することができ、それ以上の悪事に手を染めることなく、「償う(治療)」という行為に移ることができる。

では、ナポレオンや戦争を起こしたその他の権力者の場合はどうか。
1人を殺せば殺人者だが、何千人も殺せば英雄だという。
「良心」を抑えつけるほどの「信念」「支配欲」「金銭欲」または誰かしらへの「忠誠心」。それが麻酔の役目を果たして、「良心」による痛みを感じないようにしているのではないか。
痛みを感じないうちは、やりたい放題を続けてしまう。「治療」に移ることができない。だから、傷はどんどん深かまるばかりだ。麻酔が切れてしまった後には、取り返しのつかないことになっている。
それでも、「良心」を持っているだけ、マシだと考えるか。

しかし、近年、「良心」が欠落しているのではないかと思われるような犯罪者が多いように思う。
「良心」とは、先天的に備わっているものなのだろうか。それとも、成長の過程で備わっていくものなのだろうか。
「良心」がないということは、心の「痛点」がないのだから、いくらでもやりたい放題だろう。自分自身の欲するままに行動するのみ。痛みがないから「治療(反省・償い)」にも移ることができない。「良心」が先天的に備わるものであるならば、成長過程の教育によって身につけることができないのならば、更正すらできないということになる。心は異常なまま、傷だらけのままだ。
「良心」が教育によって身につけることのできるものならば、更正の可能性も出てくるだろう。かなり難しい治療かもしれないが。

本書自身の感想を読みに来ていただいた方には申し訳ないが、内容がそぐわないかもしれない。
脱線しまくり~であった(苦笑)。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009/04/04

リア王(まんがで読破)

リア王 (まんがで読破)
著者:シェイクスピア
漫画:バラエティ・アートワークス

「リア王」というと、小学生の頃に学芸会で観たような...。
確か、3人の娘を持つ王様がいて、3人の娘に自分をどれくらい愛しているのかを聞く。
長女、次女は、心にも思っていない甘言を並べ、王の機嫌を取る。
末娘は心の底から王を愛していたが、上手く言葉にすることができず、王の機嫌を損ね、追い出される。
その後、王は長女、次女から冷たくあしらわれ、ここで初めて2人の本音を知って後悔する。
城を追い出された王を助けたのは、本当に王を愛している末娘だった。
王はそれに気づいて涙するのであった。
めでたし、めでたし。
というような、ストーリーだったような気がする。

だけど、「リア王」といえば、シェイクスピア四大悲劇のひとつ。これじゃパンチが弱い。そこで、ホントはどんな物語なんだろうと、まんがで読み直してみることに。
簡単なあらすじを、本書裏表紙から引用したいと思う。

*************

高齢の王・リアは、三人の娘に富と権力を分配し、引退する決意を固めるが、素直な末娘コーデリアの言葉を誤解し、勘当してしまう。怒り狂うリアは言葉巧みなふたりの姉に全ての財産を譲り、コーデリアをかばう忠臣ケントを追放...そして悲劇が始まる。

*************

さてさてさて、漫画ではどう描かれているか。
自分の国の全てを長女と次女に譲った王は、長女・次女に疎まれたうえに城から追い出され、街をさまよううちにショックから精神を病んでしまう。
そこへ、王を助けるためにやってきたフランスへ嫁いだ末娘に助けられるも、最期には元々自分のものであった国に末娘共々捕らえられ...。

これはやはり悲劇である。
四大悲劇のひとつに数えられるにふさわしい悲劇だ。
権力をほしがる者、権力のおこぼれをねらう者、自分を蔑んだ者を恨み続ける者、心がゆがんだ人間が次々と登場。もちろん、その中でも自分自身の良心を失わない者、自分を追い出した父を助ける者、優しさを持った人間も、少ないけれどいる。

人の心を読める賢明な王であったなら、リアは自国を追い出されずにすんだかもしれない。上っ面の優しさと、心からの優しさ。それを見分ける力があったなら...。
それでも、やはり新しい悲劇を生んだだろうか。権力と富に目がくらんだ者がいる限り、悲劇は避け得ないものなのかもしれない。

人間の毒の部分を描き尽くした作品。
よくある物語のように、簡単にハッピーエンドにはしない。

開けてはいけないとされていたパンドラの箱を開けたとたんに、邪悪なものが世界にあふれ出した。
けれど、箱の中には希望が残った。

この物語の最後の言葉は次の言葉。
「わしらはみんな泣きながら生まれてきた。この世界に放り出されたのが悲しくて泣いたのだ。でも、どん底は笑いの始まり。そしてその先にあるのが、希望だ。」

どんな人間でも希望を持とうと思えば持てるのかもしれない。飾りを捨てた人間自身を見ることができるようになれば。欲に目がくらむことなく、互いの心のみを見ることができるならば。
それが難しいのが人間だ。
だから今も悲劇が絶えない。
現代だって、この瞬間にも悲劇が、あちらこちらで溢れているではないか。
全て欲を抑えきれない権力者のために、権力を持たない弱い者が犠牲になっている。
今も昔も、悲劇を生むのは人間の持つ底なしの「欲」なのかもしれない。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/04/03

変身(まんがで読破)

変身 (まんがで読破)
著者:カフカ
漫画:バラエティ・アートワークス

「ある朝、グレーゴル・ザムザが奇妙な悪夢から目を覚ますと、大きな虫に変身していることに気がついた」
この書き出しで始まるカフカの「変身」。
知ってはいても、読んだことはなかった。
いわゆる名作と呼ばれる小説が漫画としてシリーズで発刊されることを知って、これを機にあらすじだけでも読んでおこうと何冊か買った。
「変身」はその中の1冊である。

簡単なあらすじを、本書裏表紙から引用したいと思う。

*************

ある朝、布地屋のセールスマン・グレーゴルが奇妙な悪夢から目を覚ますと、自分が大きな虫に変身していることに気づく。突如の異変に家族は困惑するが、グレーゴルが変身した謎を明かそうとする者は存在せず、奇妙な日常がただひたすら続いていく。

*************

商売で失敗した父、優しい母、そして妹。この家族を養うために、セールスマンとして働くグレーゴル。最初はむいてないかのように思われたが、ある日、よい買い手を見つけ、トップ・セールスマンとして大きく稼ぎ始める。母と妹は喜んでくれるが、父だけは威厳を保つためかプライドが傷つけられたのか、グレーゴルの才能を認めようとせず、空威張りするだけ。
しかし、あるとき突然、今までの顧客が別の会社から布地を買い始める。グレーゴルより安く売っているのだ。
その顧客を取り戻すため、グレーゴルも値を下げて売り始めるが、どんどん営業成績が落ち始め、家に入れるお金も少なくなっていく。
母や妹は、それでも慰めてくれるが、父は「それ見たことか」といった態度である。

別の仕事を探したりもするが上手くいかず、家族のために自分の幸せを犠牲にし、追い詰められていくグレーゴルは、冒頭の文章の通り、ある朝、目が覚めると虫に変身していたのだ。

虫に変身した後、家族の態度は豹変し、あれほど家計を助けてきた兄を、足蹴にする。それどころか、うっかり母の前に出てしまったグレーゴルに深い傷を負わせてしまう。その後、家族たちは宿屋を経営し、客を招き入れたが、そこへも姿を見せてしまい、客を怒らせてしまう。

その夜、妹が「兄と縁を切ろう」と言い出した。それがお互いの幸せのためだと。あれはもはや「兄」ではないのだという。
グレーゴルは、それを聞いた夜、1人、息を引き取った。

さて、ここでぶつかった問題は、「虫に変身していた」ということが何を意味するんだろうということだ。
人間は普通、虫には変身しない。
だからといって、特に他の別なものに変身するわけではないけれど。
この文章に、何らかの意味づけをしたくなるのは、私だけではないだろう。自分の理解の範疇を超えたものに遭遇したとき、自分の持つ知識の中で納得のいく答えを見つけたくなる。

精神的に病んだことを意味するのか?
外に出せないほどに病んでしまったことを。

おそらくいろんな解釈がなされてきたんだろうなと思う。私はただこのまんがに描かれている情報しか持たないが、作者の境遇、作品が生まれた背景なんか知るとまた、違った解釈もできるのだろう。

多くの人間がいれば、少し周りと違う人間も出てくるだろうし、そうなれば自然と「差別(区別ではなく)」が生まれる。憐れむ人もいれば、蔑むひともいるだろう。その人の気持ちを理解しようと努力してくる人も出てくるかもしれない。しかし、その人の気持ちはその人にしかわからないものである。
人はみんな違う。みんながオンリーワンだという唄が流行ったが、本当にそれを理解している人は、どれだけいるのだろう。自分はオンリーワンだといいながら、みんな周りの人間と異なることをどこかで恐れているのではないか。そんなことも考えてしまった。

もしかしたら、この作品は、ただ「ある日、男が虫に変身したらどうなるだろう」。それだけの理由で書かれたのかもしれない。それなら作者の勝ちだ。人々を悩ませるだけ悩ませといて、なんだよ、それっていうオチ。

短い物語だから、サラッと読み流してしまうこともできるし、そこからいろんな想像をふくらませることもできる。それが長く読み伝えられた理由だろうか。

===============
私はこのまんがの原書を読んでいない。解説書等の類も読んでいない。私の本書に対する知識は、このまんがに描かれていることのみである。なので、全然筋違いな解釈をしている可能性もある。
もし、この作品についてよい解説等があるのならば読んでみたいとは思うが、今の私には新聞の記事すらまともに読めない状態なので、難しい長文は読みこなせられないだろう。
いつかまた、機会があれば調べてみよう。
そのときまで、この作品に興味を持っていれば、であるが。
また、原書を読んでいないため、漫画との比較ができず、★による評価はできないと判断した。

| | コメント (2) | トラックバック (0)