ファントム〈上〉
著者:スーザン・ケイ
訳者:北條元子
★★★★★
この本と出逢った瞬間を今でも覚えている。
一目、表紙を見たときから、なぜか惹かれた。
手に取り、1ページを見た途端、自分のものにせずにはいられなかった。運命の出逢いだったのかもしれない。
それほどに、私はこの本に惚れている。
というより、この本の主人公エリック(ファントム・オペラ座の怪人)に惚れているのだ。
ガストン・ルルー原作の「オペラ座の怪人」のファントムの生涯を描いたのが本書である。
エリックはなぜオペラ座に潜み、人を怯えさせ、ファントムと呼ばれるに到ったのか。
エリックは、生まれてから一度も人間からの愛を受けずに育った。
母からでさえも。
原因は、その人間とは思えない醜悪な容貌のため。
誕生日のプレゼントに何が欲しいかと母から聞かれ、5歳の彼がこわごわ言い出したのは、「キスして欲しい」だった。息子がやっとの思いで言い出したその言葉から、母は背を向けた。二度とそんなことを言わないようにと彼に向かって叫びながら...。
ただ、彼にも友達はいたのだ。
彼の容貌も気にせず、無邪気に顔をなめてくれる犬のサシャ。
サシャだけは、エリックの心許せる友。
エリックは本当は敬虔なキリスト教徒だった。
それが教義を捨てたのは、天国へ行けるのは人間だけで、動物は行けないと牧師から言われたとき。
ただ一人の友と共に天国で逢うことが出来ない?!
エリックはそれが許せなかった。
そのときから、彼は神を捨て、悪魔に魂を売ったのかもしれない。
醜い容貌を持つ彼の噂は村中を駆け回り、不吉だと暴力をふるうものも出てきた。現にサシャが殺され、自分もナイフで刺されるに至って、自分がいては母の命さえも危ないと悟ったエリックは、わずか8歳で家を出た。母を守るために。
皮肉にもその日は、母がエリックへの真の愛情を自覚したときだった。
あと1日、エリックが旅立つのが遅ければ...。
あと1日、母が悟るのが早ければ...。
それからジプシーに混じって見せ物にされたり、そこを離れひとりでさすらうごとにエリックは、冷たく強く、そしてある部分でもろく弱い青年へと成長していく。
人間全てを憎むに到るだけの理由がある。
エリックは人間から人間として扱われて来なかった。
たまに容貌を気にせずエリックに好意を持ってくれる人間に出逢っても、いつも最悪の結末がやってくる。
それを学び、ますます人間を憎み蔑むようになる。
残忍な殺人も行うエリック。
それでもなお、惹きつけられずにはいられない。
何度、この本を読み返しただろう。
読み返す度に、切なく哀しくなる。
本をそばに置いているだけで、落ち着かなくなるのだ。
著者もエリックを愛していたのだろう。
だから、エリックは読者である私をも非常に惹きつける。
上巻はペルシャで王室にとどまるところで終わる。
傲慢で我が儘で、残忍な后の欲望を満たすためにペルシャに呼ばれたのだ。
生まれつき正邪の区別がつかないエリック。
殺人自体を厭うことはしない。しかし、意味もなく人に苦しみを与えることを、良しとも思わないはずなのだ。
新しい拷問の道具を作れと言われれば、器用な彼は片手間にでも作ってしまう。本当の彼は美しいものが好きなはずなのに。醜く人間を死に導くものなど作りたくないはずなのに。
自分の意に染まぬ残忍な拷問方法を考え出すようにと、后から命を受ける度に、エリックの心は傷ついていった。それをごまかすために、后に与えられた麻薬に身をゆだねるようになっていく。
自分の心の醜い部分をあらわにさせられることに、エリックは耐えられなくなっていったのだ。
下巻ではさらに新たな苦しみを味わう。
あの運命の少女、クリスティーヌとの出逢いが待っている。
そこへ行くまでの旅も決して楽なものではない。
エリックに救いは訪れないのか...。
神を冒涜するエリックには、神も救いを与えないのか。
ただただ、哀しみと切なさが漂う物語である。
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